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2005年10月31日
mixiの日記からココをリンクしてみた
最近、すっかりmixiを見るのが日課になってしまった(^^
存在自体は、ずいぶん前から知っていたんだけど、自分自身余り興味が無かったし、周りにやってると言う人もいなかったので、遠い存在だった。
しかし、悪友kuの紹介もあって、まぁ登録だけしてみようかなと思っていたら。。。
あらあら奥さん面白いじゃないのw
その昔、今の@niftyが、NiftyServeというパソコン通信のサービスだった頃。
いろいろなフォーラムに顔を出し、オフミに参加し、知り合いが増え。。。
という、今の自分の財産である友人・知人を構築した時代が有った。
mixiは、まさにそのNiftyServeの時代を思い出させてくれるようなサービスだった。
となれば、日常に組み込まれるのは、当然の事w
これからしばらくは、いろいろなコミュに参加して、楽しむことにします(^^
投稿者 wewidi : 17:30 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月18日
『戦後50年以上の終戦記念日』
以前からふと思い出した頃に、自分のハンドルネーム「ゑゐぢ」を、Yahoo!等で検索していたりする。
まぁ、ずいぶん前からインターネットで、うろうろしているので、結構な数がヒットするのだが、今回の検索では、自分の書いた懐かしい文章を発見した。
「終戦記念日」を前にして、思ったことを文章にしているのだが、今でも、そうだなと納得できることを書いている。
自分の誕生日が「終戦記念日」でることから、「終戦記念日」というか、「戦後」に関して、昔から関心があり、さまざまな文献を読んだりしているので、こういう気持ちが強いのだと思う。
この文章は、もともと無料サーバに掲載していたものなので、いつ消えてもおかしくないが、自分自身こういう気持ちを忘れたくないので、あえてここに転載しておくことにする。
ただ、この文章を転載するにあたって一つだけお願いしたいことがある。
「戦争」がどうとかという話題について、人それぞれの意見があり、反論がある人もあるかもしれないが、これはあくまでも、自分自身の考えであって、他の人を否定するとか、自分を肯定するとか、そういう意図で書いたものではないことを、理解してほしいと思っている。
「平和」である世の中は、「恒久的」ではありえないことは、歴史が物語っている。
しかしながら、ここ日本や近隣諸国にあっては、少なくとも今後数十年はそうで、あってほしいと願っている。
それでは、2000年8月14日、旧ゑゐぢの館の文章から転載です。
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明日、8/15は終戦記念日である。
この日は、僕にとっても特別な日である。毎年この日を境に、ひとつ年を重ねるのであ
る。そのせいかどうかは良くわからないが、僕にとって「太平洋戦争」は、幼少の頃か
ら非常に興味のあった歴史である。
(何故「記念日」なのかはいまだに疑問であるが・・・・)
その歴史を正しく伝える人たちが減ってきている。
現在、現役で活躍している多くの人たちは、「太平洋戦争」を経験していない世代であ
る。つまり、「太平洋戦争」について、本当の意味での戒めを伝える人たちが、現役の
人たちの中にいなくなってきているのである。
伝えなければならない歴史を、伝えるべき人が伝えていない。いや、伝えることができ
ないのである。戦後50年以上経過するとはそう言うことなのだ。
日本では「太平洋戦争」に関しての記憶がどんどん薄れている。これは上記のような理
由もあるが、それ以上に「伝えたくない事実」を抱えていることにも原因がある。
「太平洋戦争」は侵略戦争であり、日本の侵した愚行だと僕は考えている。
それを日本の国はいまだに認めていない。そればかりか、あいまいに事を伝えることで
意識の中から薄れさせようとしているようにも感じるのだ。
韓国やその他、侵略を受けた国では、いまだに日本を憎んでいる人々が、多くいるはず
である。それらの人たちは、自分の次の世代の人たちに、気持ちを込めて伝えているだ
ろう。そしてその気持ちが世代を超えて伝えれらていくのである。
日本では薄れているのに、外国ではいまだ覚めやらぬ記憶なのだ。
僕はこのギャップが、非常に恐ろしい。
ちょっと横道にそれるが、現在日本では、「いじめ」が横行し、そして今日もメディア
で取り上げられている。
いじめた方は大人になると、その記憶がどんどん薄れていくだろう。これは人間の「ま
ずいことはさっさと忘れる」という本質が影響しているのだろう。
しかし、いじめられた方は、その記憶が薄れることなく、いつまでも残っている。
そればかりか、その記憶が誇張され「増幅」されていくのだ。
戦争の記憶は、実にこれと同じなのである。
侵略した側はその事実を認めず、どんどん記憶が薄れていく。
逆に侵略され、傷を受けた国では、その痛みが薄れることなく、いつまでも残り、そし
て伝わっていくのである。
ここに日本における痛みの事実が存在する。それは『日本は「原爆」が落とされた最初
で最後の国』ということである。
たしかに、原爆を使った当時のアメリカ軍上層部は許せない。人類史上最悪の愚行で
あろう。しかし、太平洋戦争当時の日本軍の上層部はそれ以上の愚行を犯しているの
である。
「原爆」については多く語られ、そして今でも鮮明な記憶として伝わっている、本質で
ある「太平洋戦争」以上にだ。
これは「わが身に受けた痛み」があるからに他ならない。
しかし、それ以上に他の国に対して「痛み」をあたえたのも事実なのだ。
「本質」を伝えず、「身に降りかかった不幸な事実」のみを伝えていく。
本当にそれで良いのだろうか・・・僕はそう言う部分に、多くの疑問と、憤りを感じる
のだ。
戦後50年以上経過した今こそ、「太平洋戦争」の愚行を紐解き、真実に目を向け、そ
して認め、これからの平和な未来に向かってなにをすべきなのかということを、考え直
して欲しい。それが現代における「終戦記念日」なのではないだろうか。